凝り性だけど飽きっぽい

特装版 ぼくは地球と歌う 1/日渡早紀【1000円以上送料無料】
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さてさて、新シリーズ「ぼくは地球と歌う」でございます。
「ぼく歌」と略すそうです。
作者の日渡さんは“わずか1/4のたわごと”で“自分でもわからずに「ぼく」の表記をひらがなにした”という意味のことを書いておられますが、私が勝手に想像するのは、

自分と世界との関わり方の成長につれて1人称がボク→ぼく→僕と変わっていくのかな、と。
だから蓮も今回の物語を通じて、あの時の輪と同じくらいにまで否応なく成長させられてしまうのかなーなどと
漠然と考えております。

物語は“いれぎゅらーばうんど”から4年経過しております。
蓮の身にも大小いろんなことが起きております。
とはいえ、それらの騒動は「平穏」とでも言い換えられる位のものであったのですが・・・。

EPIAからヘンルーカなる謎の少女が、前回、輪を抹殺しかけたビラミッド型の物体を持ち出し、さらに東京タワーを求めて動き出す。そのせいで一度は免れた輪の死の可能性がまたぞろ持ち上がってくるような予兆が・・・。

ヘンルーカの目的は?
輪の運命は?
富士山の役割は?


・・・といったあたりまでの展開です。

でですね。
このヘンルーカってヤツが超ヤバい超能力者なわけですよ。
何しろ他人の能力をコピーできるってんですから。
この能力って、ちょっとググってみればわかりますけど、大体が物語の緊張感をぶち壊すものとして世間的にはとらえられがちな能力なわけです。
一見すると最強の能力に見えますから。

そういう能力を持った敵とバトル(勝負)をして、しかも主人公に勝たせるための敵役の致命的な弱点がよほどうまく描けないと、物語の緊張感が台無しになってしまう危険をはらんだ能力なわけです。

日渡さんもその位のことはとっくにわかった上で、あえてこういう能力者を設定したのでしょうから、信頼して続きを待てばいいのでしょうが、物語の本筋以外の部分でも読者をドキドキさせるとは、やはり一筋縄ではいかんお方ですわ。

いまのところは、そこに富士山がキーポイントとしてからんでくるのでは?と思ってますけどね。

とりあえずは続きを待ちたいと思います。


Quo Vadis(18) (バーズコミックス) [ 佐伯かよの ]
Quo Vadis(18) (バーズコミックス) [ 佐伯かよの ]

さてさて、やっとお待ちかねの18巻です←そうでもないか(笑)

ま、前巻くらいからようやくシドの目的(人類を造り変える)も明らかになってきて、イエスもアテナもマザー・フレイアも、全てはその目的のためにシドが陰に日向に暗躍する方向に操られていたという事がわかってきたのですが、しかし教授とオーディンは絶体絶命。

さあどうする!

というヒキから入った18巻。
そしたらなんと、

現代人代表のサラちゃんが二人を救出し
吸血鬼代表のアルフォンソが命をかけてシドを殺しました。

前回私が言ってた”未来人同士の戦いに現代人と吸血鬼は巻き込まれているだけ”状態からは脱して、それも戦いのゆくえに関してかなり重要な役割を果たし・・・たんですけど、ねえ。

なんかもう一つスッキリしませんわ。

これはひとえに、未来人は死ぬのか、死ぬとしたらどういう状況下なのか、というのが吸血鬼ほどはっきり説明されていないという点に尽きる、と思います。だからオーディンの説明ではもうシドは死んでいるはずなのに、まだ起き上がって断末魔のあがきを繰り返すし、どこまでいっても「ホンマに死んだんかいな?」という疑惑から免れないんですよね。

そうこうしてたら、巻末では死んでたと思ってたソフィアまで生き返るし。

えーとですね、
私のオツムのキャパをはるかに越える出来事のオンパレードに、もう???の嵐でございます。

ただ物語自体は進んでおります。
シドが死ぬ前に24時間以内に人類が絶滅するというプログラムを始動させたので、いよいよ次巻ではカタストロフィが起こるはず・・・です、多分。
ただ???にさえぎられて、今ひとつ胸躍らせて待て!っちゅう感じになりませんわ。

はあ。




さて、前記事からのつづきです。

美内センセは以前から

ガラスの仮面の結末はもう決まっている

とおっしゃっておられます。
結末が決まっているのにそこまでたどり着けないというのは、それはもう途中が描けないという事に尽きるわけで、先程はその理由を「紅天女」のストーリーが納得できないからという仮説を立てたわけですが、もうひとつ考えられるのは、
結末までの展開を誰も予想できないものにしたいという欲求が強いため
という仮説です。

これの根拠として、以前竹熊健太郎氏が、「ガラスの仮面」のラストを予想した時に、それを見た美内センセが
「それ以上の結末を描けばいいんでしょ」
とおっしゃったとかおっしゃらなかったとか。

それに、最近の刊行でも、雑誌連載時の巷の評判をご覧になっているのか、単行本刊行時には、必ずと言っていいほど連載時の読者を裏切る展開を用意なさってます。

でも、それってそんなに重要ですか?

連載開始から今年で40年、その間に物語のパターンも出尽くした感がありますし、今の時代、“どう驚かせるか”より“どう説得力を持たせるか”の方が重要視されている気がしますし、それこそ美内センセお得意の技じゃないですか。

何の変哲もない舞台に感動を生み出すのは。

ただまあ、「ふたりの王女」で一度直接対決させてるだけに、ハードルは上がってるのは間違いないし、前記事でも言いましたが、読者が興味を持っている結末のパターンは
紅天女マヤ マヤ恋愛ハッピーエンド
紅天女マヤ マヤ恋愛ハッピーエンドならず
紅天女亜弓 マヤ恋愛ハッピーエンド
紅天女亜弓 マヤ恋愛ハッピーエンドならず

この4通りしかないので、どうやっても衝撃の結末にはなりません。

という点でいろいろと困難があるのはわかりますが、衝撃の展開はいりませんから、願わくば感動の展開を。

・・・まぁ、こんな木っ端ブログはご覧になってはないと思いますけどね。


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